突然ですが、
「あの人の発言が気になる」と思う時、
問題の本質は「あの人」にあると思いますか?
相手の発言が気になるなら、問題の本質は「あの人」にありそうですが、実は問題の本質は「自分」にあります。
誤解しないでいただきたいのは、自分自身が悪いわけでも、問題なわけでもありません。
何か気になることがあった時に、人はその気になる点に着目します。
ですが「なぜそれが気になるのかと思う自分自身」に着目する人はそんなに多くはないと思うのです。
(全くいないとは言いませんが)
ちょっと私の過去の体験をお話させてください。
以前働いていた会社でどうしても苦手な先輩がいたのです。
最後の方は苦手というのを通り越して恐怖でした。
その先輩から、
「なんでそんなこといちいち聞くの?自分で考えなさいよ」
「そんな仕事タラタラしてないで早く終わらせて次の仕事してよ」
「やる気あるの?」
「あなたがいつまでもそんなだと私自分の仕事が出来ないんですけど」
という事を毎日毎日聞かされていました。
毎日聞かされて辛すぎて、いつの間にか「この先輩にどうやったら怒られないか」だけ考えて仕事をするようになってしまったんです。
「本当に怖い。大嫌い。こんな事ばっかり言って、この人性格に問題がありすぎる!!!!」と、私は心の中で日々先輩を非難していました。
ある時かなり関係がギクシャクした為、会議室で先輩と1対1で話す事になりました。
その際に「本当に言い方が怖いんです!なんでそんなに責めるんですか?」と私が言ったら、先輩は泣きながら「そんなつもりはなかった。確かに怖がらせたかもしれない。ごめんなさい」と言ってくれたんです。
そこで気づいたことは、先輩には私を怖がらせようという認識は少なくともなかったんです。
結構衝撃的でした。
だって、私を辞めさせたいがためにパワハラしていると思っていたんですもの!
考えてみると先輩が同じ事を別の人に言ったとして、気にしない人は気にならないかもしれないんですよね。
じゃあ何が問題だったか。
それは、私が非難されていると感じる根本を自分の中に持っていたからです。
確かに字面を並べるとひどいこと言われたな〜って今でも思うんですが、この言葉や先輩の高圧的な態度に反応するスイッチを私が持っているんです。
そう。スイッチ。それが単にあるだけなので、自分自身に問題があるわけでもないのです。
私の場合はそのスイッチが押されると自分が被害者になってしまう。
「私ばっかり辛い目にあってる。私かわいそう」となってしまっていたんです。
このスイッチですが、渦中にいるときに自分自身で「私のスイッチは何だろう?」と考えるのは難しいと思います。
そもそもスイッチ云々よりも相手を非難する気持ちの方が勝っているでしょうから。
少し落ち着いた時、もしくは相手との関係性を良くしたいと思った時に、「私が反応したスイッチは何だろう」と自分の中を探してみると良いですよ。
それに気づけるとスイッチが押されなくなったり、押されても気にならなくなり、そしてそこから新しい関係性を築けるのですから。